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社会保険労務士坂口雅俊の「努力に勝る天才なし」★★★★★★★

詳しいプロフィール

1973年12月17日大阪府堺市に生まれる。

小学校。地元の小学校に通う。人前で話すのが苦手で本当におとなしい性格でした。

中学校。地元の中学へ進み厳しい塾へ通いだす。クラブは卓球部に所属。塾へ通いだしたのを機に成績は少しあがりました。
今思えば、この塾で勉強のきっかけを与えてもらいよかったと思います。

高校は少し離れた公立高校へ自転車で30分かけて通学。体育がやたらと厳しく、身長が伸びても体重は減りました。ユニークな先生にも出会う。ここでの経験は忍耐力の形成に役立っています。大学への進学はなんとなく決めてましたが、当時の18歳人口が多く、狭き門で不合格。

1浪の末、大阪経済大学経営学部になんとか合格。
大学では音楽系のマンドリンクラブに入り、ほとんどこのクラブで4年間をすごし本当に多くの友人と出会いました。規律と礼儀がモットーの体育会系のクラブでした。

音楽を通じての経験重視の体質で、いろんな人と出会うことができました。
3回生のときは部長を務めいろいろ失敗しました。ここでの経験が今の自分の原点にあると思います。今でも常に交流のある友人、後輩に恵まれて助かっています。

クラブ活動中心にしすぎ、就職活動は遅れました。
就職部の先生には厳しく指導され、なんとか化学系のメーカーに就職が内定。

会社では営業に配属され、日々数字を追いかける毎日。全力でやってましたが本当によく怒られました。
年配の社員でリストラされる人も出て、営業目標に対するプレッシャーは高まるばかり。休日も有効に使える余裕はありませんでした。夜も遅く家族には心配をかけました。
 それが3年ほど続きついに上司に辞めたいと相談。

「辞めるべきではない」と上司の配慮があり、大阪工場への配置転換となりました。
上司には本当に迷惑をかけましたが、感謝しています。

大阪工場では精神的なプレッシャーはなく、ある程度自由に仕事をしていました。しばらくして製造部門への配置転換となり、そこではISOの仕組みづくりや製造を勉強しました。

しかし製造の現場は生易しいものではありません。文系の私には関心の低い化学と、腰を痛めたことで進路を変えようと決意。

2001年、仕事をしながら社会保険労務士試験の受験を決めました。
試験まで8ヶ月しかなかったので、2回目で合格できるように計画。

1回目の受験で合格できるかなと思ったのですが、準備不足で予想とおり不合格。

2回目の受験では、思いがけない休日出勤や残業の増加で大苦戦。

しかし「遊び」の誘いを断ったり、電車での勉強方法も工夫しなんとか合格。
開業には不安もありましたが、迷ったときはしんどい方を選ぶのもいいかと思い、2004年9月社会保険労務士で開業。

~社労士として~

 資格取得の人気のわりには開業してもうまくいかないと言われています。
私のビジネスの考え方は、「資をどう使うか」を最大限活用すること。
ビジネスの基本を押さえて「仕組み」を築くことが大切だと考えています。

サービス業として、「お客様」の視点を常に意識し、業務を研鑽していきたいです。将来は経営の基礎を固め、お客様と共に発展していきたいと思っております。

どうぞよろしくお願いいたします。

坂口雅俊公式サイト



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